はしのーと

◇旅する絵描き実践録

ドМは伸びしろ(かもしれない)

 

通知表最高評価の「5」で喜び、「3」は普通、「1」でも取ろうものなら…これが世間一般の価値観だ。だがごくまれに、「1」で喜ぶ変態がいることを知っている。

 

はしのの日記 12.May.2019

 

「こじんまりした絵ですね」

クアラルンプールで出会い、それからお世話になっている友人からある日通話でフィードバックをいただいた。

 

とても新鮮に響いた。

 

しかし正直に言うと、友人の言葉に私はムッとしていたのだ。丹精込めて描いた絵だから、「そんなことない!」と言いたくなった。

 

発信をしていると、「つまらない、気に入らない」など“痛みを伴うフィードバック”を受ける機会は少なくはない。

日常の中でも、嫌なことを言われた経験は誰しも少なからずあるはずだ。

 

 

そんな時、あなたはどんな態度をとるだろうか?

見ない・聞かない・氣づかないフリをして臭いものに蓋をすることもできる。

あるいは反撃にでて相手を負かし、あたかもその言葉をなかったかのようにすることもできる。

 
 

しかしよく考えれば、ネガティブなフィードバックは伝える側も勇氣がいる。

傷つけることを目的にした言葉なら真正面から受ける必要はないが、「あなたのために正直に伝えたい」という友人の心遣いを感じたこともあり、ここで感情任せになるのも違うと思った。

友人の氣持ちを受け取り自分を律するために、私は脳内で学びの引き出しを探ってみた。

 
 

 

◆勇氣の選択

 

私が魅力的だなと感じる大人たちに共通するのは、「痛みを歓迎する」あり方を一貫していることである。

 

これは痛みの後にはじめて希望があり、痛みがない人生は平坦だけど同時に希望もないという考え方に基づいた価値観で、

だからこそ迷ったら勇氣が必要な方を選べ、というあり方だ。

 

『ゲゲゲの鬼太郎』の著者「水木しげる」氏が、当時全く売れない鬼太郎を辛抱強く描き続けた話は朝ドラで有名だが、生活が困窮する中なら、当然漫画をやめて別の仕事に就くという選択肢もあるはずだ。

しかし描き続けたというエピソードに個人的に強い感銘を受けた。

 

人間は「快」に流れやすいが、それゆえに痛みを歓迎しようと勇氣ある選択をする大人はとても魅力的に映る。

 
 

◆なぜ痛みを歓迎できるのか?

 

人間は元来「変化を嫌う生き物」だ。熱い場所に行けば汗を流して体温を一定に保とうと体が反応するように、人間の身体は環境が変化しても身体の状態を一定に保とうとプログラムされている。

 

これを慣性の法則と呼ぶが、現状維持を好むというのは、人間本来の性質でありいわば習慣である。

 

だからこそ人間は損する確率と得する確率が5:5であったなら、損するリスクを避ける方により重きを置くという(プロスペクト理論)。

これはざっくりいうと100万円を獲得することよりも100万円損することの方が心理的影響が大きいということだ。

 

 

別の例をだそう。大学入学後、環境が自分に合わないと感じても通い続ける学生にも同じことが言える。

つまりは退学して自分のやりたいことをやる(得の選択)よりも、支払った入学料や受験にかけてきた時間を無駄にしたくないとの思い(損の選択)の方が優先順位が高いのだ。

その文脈でいえば、「痛みを歓迎する在り方」というのは矛盾しているように見える。

 

何が違うのか?

その謎を解くカギは「何が習慣化しているのか?」という視点だ。

 

つまりは

痛みを避けることが習慣化しているのか

痛みを歓迎することが習慣化しているのか

 

後者は、積極的に意識的にリスクを取りに行く選択を繰り返して、それが習慣化しているという好循環に入っている。

だからこそ痛みを歓迎できるし、むしろリスクをとらないことは彼らにとって気持ち悪いことでもある。

 

大学が合わないと思ったら、すぐに軌道修正をして自分のやりたいことを始めるタイプの人間だ。その選択が良いか悪いかは議論を呼ぶところだが、すくなくとも行きたくもない大学に我慢して時間を浪費するより、次の一手をうつことで恐らく成長スピードは速いといえる。

 

記憶の奥で、師匠の言葉が響いた。

あらゆる「対立」(意見の不一致、葛藤、理不尽、矛盾…”に見えるもの”)に遭遇した時の態度こそが、その人の今後の成長ポテンシャルを何よりも鮮やかに、高精度に物語る。

 

 

 

「こじんまり…か」。

 

脳内の引き出しを整理していると、自分が一つの選択の岐路に立たされていることに氣がついた。

友人からの一見ネガティブ(に見える)なフィードバックを突き放すのか。取り入れ成長の糧にするのか。

 

 

息を吸って吐く。もう一度絵を見る。

…なるほど、確かに私の絵は「こじんまりしている」側面がありそうだ

 

瞬間、次の作品の構造が浮かんだ。今まで描けなかったものが降りてきた氣がした。ちょうど算数の計算が解けた時みたいに。

(ああ、そうか。)

痛みを乗り越えると、次のステップが見えてくるようだ。

 

きっと世の中の変態(化し続ける度の人間)たちは、この乗り越えた先にある快感を求めて前のめりにリスクをとり、大衆から抜きんでていくのだろう。

 

痛みを喜ぶ。そういう意味で、もしかするとドMと呼ばれる人たちは「成功」のための重要な素質をもっているのかもしれない…。

もちろんこの点はその限りではないだろう。

けれど面白い視点だと我ながら思った。

 

「ありがとう。よかったらまた話を聞かせてほしい」

氣づきを与えてくれた友人にお礼を伝え、私は電話を切った。

世界は、今日も発見で溢れている。

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