「企業」からお給料をもらっているという壮大な勘違い

 

お元気様です、はしのです。

今回は「就職」についてお話しします。

ほとんどの人が一度は経験する、「働く」とは何か?

高い給料を求めて大企業に入社。

よかった、これで安定だ...。

でも蓋を開ければ上司は怖いし、残業ばかりでストレスフルな毎日。

「こんなはずじゃなかったのに...」

そう頭を抱えないために、ハシゴのかけ違いを防ぐために、「就職」を再定義してみたいと思います。

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そしてすり替えは起こった。

 

 

こんにちは。はしのです。

前回の記事では、鋳造貨幣(コイン)と紙幣の違いを踏まえた上で、

お金とは共通価値であること、

そして紙幣を作っているのは国ではなく民間団体の銀行であり、政治と金融は分離しているということをお伝えしました。

10円玉と1000円札の違いをあなたは説明できますか?

 

では、いつ誰が政金のすり替えを行ったのか?

今回はそれいついて16世紀イギリスの歴史を紐解きながら解説します。

 

歴史というと堅苦しいイメージを受ける方もいるかもしれませんが、

マネーの歴史という基本構造を理解することは資本主義社会の大局を理解することと同義ですので、

記事を読み終える頃には、はじめてコンタクトレンズをつけた時のように、世界が180°クリアに見えると思います。

 

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はしのについて。

 

 

 

はじめまして。はしのと申します。

私は物心ついた時からペンを握りしめて、紙という紙に絵を描く子どもでした。

右手中指のペンダコは、今もこれからも生涯のお供です。

 

 

■旅と絵。

 

はじめての外国――カンボジアを訪れたのは15歳の時でした。

世界を旅する面白さに魅了された私は、絵描きとして世界中を旅しながら生きていくと決意します。

 

しかし現実――某国立大学に入学してからは、時間はあってもお金はない。典型的な大学生でした。

 

だから旅にはあまり行かなくなりました。

絵をかくことより大学の課題を優先するようになりました。

「旅する絵描きとして生きて行きたくても、そんなの現実的にムリ...」

このままどこかの企業に就職していくのかと思うと、欝々とした気持ちになりました。

 

そんな時に、東京でとある旅人と出会います。

 

 

 

・・・・『10円玉と1000円札』・・・・

 

 

 

彼と出会ったのはセミの鳴き声が木陰に身をひそめ始めた頃だった。

腰かけた深いグリーン色のテーブルの上には、冷えたハイネケンと香ばしい粗びきソーセージの香りが漂う。

彼は聞いた。

「10円玉と1000円札。この二つの違いは何だと思う?」

 

答えられなかった。考えたこともなかったのだ。

ひとつの沈黙を置いて彼は言う。

 

「10円玉は銅で作られていて、10グラム分の銅の価値がある。でも、1000円札は1000円という文字が印刷されたただの紙だ。

1000円札を刷るための原価は20円しかかからないんだ。」

 

「僕らはたった原価率0.2%の紙ぺらを、まるで命の次に大事なもののように信用しているんだよ。」

 

 

「これを知っている大人、まして説明できる大人は本当に少ない。」

(気のせいだろうか、その肩は小さく落胆しているように見えた。)

 

 

私たちが酸素を取り込む行為とおなじくらい、自然に使っている「お金」。

けれど、そもそもこの「お金」とは何たるか??

「10円玉と1000円札の違いを、あなたは説明できますか?」

 

 

その旅人との出会いから、自分がいかに無知か、どれだけ狭い世界で生きていたかを知りました。

その旅人は、季節ごとに各地へ移住し、きままに旅をする生活をしていました。まさに、スマホを持った「現代版のスナフキン」のようでした。

 

「そんな生き方があるんだ」

このまま就職のレールに乗るという手持ちのカードから選ぶより、

一度キャンパスをまっさらにし、知らない世界に飛び込みたいと休学を決意したのは

りんごが木から落ちるように自然だったなと今振り返ると思います。

 

 

それから半年にわたる隠居生活では、

「成功者の基準」を知るためだけに全力を尽くしました。

 

ここでいう成功者とは、自分の望む人生を歩んでいる人、という定義ですが、

 

自分もそう生きていきたい――世界中を旅して、絵を描き続けたい――と心の底から願ったのです。

 

 

「成功したければ、成功者をまねるだけ。」

 

傍から見ても、自分の望む人生を生きている彼らが何を考えているのか、

何を優先して生きているのか。

その全てを吸収すべく、文字通り「考えつく限りのこと」を試しました。

 

巷に溢れた成功本なるものを有名どころからマイナーなものまで読み漁り、

30万の一見うさんくさい高額ビジネススクールに通うこともありました。

 

あるいは香港、マカオ、マレーシアと飛び、億の運用資金を動かすトップトレーダーなどにも直接指示を仰ぎに行きました。

 

持ち前の無鉄砲さをフル活用してむしゃらに繰り返しているうちに、自分のビジネスを立ち上げるに至ります。

そこからも試行錯誤を繰り返す中で、2018年4月にちょっとしたブレイクスルーがおこり

月の半分以上は絵を描いて生活する今のライフスタイルが一旦は確立しました。

時には旅を、時には水彩画を、時には油絵を…といったように

その日その日の気分に合わせた選択をしながら慎ましく暮らしています。

 

 

■ブログを書く意味―

「人類総アーティスト時代」の幕開けに向けて

 

大量生産、大量消費時代はAIの発達によって終わりを迎え、

時代は新たな方向へ移行しています。

 

大衆ではなく、一人ひとりのユニーク性が価値を持つ時代がすでに始まっています。

その個人が集まり、コミュニティをつくり、価値を高め合う必要性があることに一部の人々は気が付いています。

 

――さて、この「過渡期」をどう乗り越えるか。

 

今の時代がどういう時代で、この後どうなっていくのか、その話もまた別の記事で書きますが、

兎に角 私がブログ発信をする理由は

来たる「人類総アーティスト時代」の備えとして、価値観の似た仲間がほしいからです。

高め合えるコミュニティをつくりたいと考えています。

 

世界の未知を開拓しては、発信し、私の価値観や情報に賛同してくださる仲間に向けて、共有し続けたいと考えています。

(実際に発信をする中で、非常にユニークな方々からご連絡を頂くようになりました。)

 

このブログを読んでくださるあなたに、ひとつでも有益な情報を共有できれば幸いです。

いつの日か、世界のどこかであなたとお会いできることを願って。

 

There is always light behind the clouds.

 

はしの。